■実録・大阪国際への道
ここには初出場からの経緯と、最近の大会直前トレーニングをまとめてみました。
昔「ミュンヘンへの道」ってアニメがありましたよね。ミュンヘン五輪へ向けて猛練習に励む全日本男子バレーチームを実写を交えてリアルタイムに描いたドキュメンタリー・アニメ。報道陣シャットアウトの極秘練習とかインタビュー拒否とかの全く逆をゆく、プレッシャーを逆手に取ったスゴイ企画でした。本当に金メダル獲っちゃったし。
で、2006大阪国際への道。いや、私には大したプレッシャーもありませんが。ただ松平監督と同じぐらい強気でクソ度胸はあるかもしれない。
2006大会へのトレーニングは2006直前トレーニング編をご覧ください。
自己ベストを更新(2時間47分53秒)した2005年大会へのトレーニングはこちらを。
☆初めて大阪国際に出場するまで
大学院で運動生理学ゼミにいて陸上部のランナーの呼吸循環機能の測定などをした。始まったばかりの全日本大学女子駅伝にうちも出場していたが、格別優れた身体能力を持ってるとも思えない。これぐらいなら私も走れるだろうとローカルレースに出てみるとあっさり入賞したのに味をしめ、数年後に軽い気持ちで大阪国際女子マラソンにチャレンジ。しかし所詮レースの前にチョコチョコッと練習するだけのランナー、91年11月の神戸女子20kmロードで2分オーバーして出場資格を逃した。ちょっと悔しかったが、1ヵ月後のホノルルマラソンを3時間36分で完走、「来シーズンはちゃんと練習して大阪に出よう」と意気揚々と帰国した。この時29歳。
結局、大阪の出場資格を得たのは5年後、34歳の時だった。ホノルルから帰ってすぐ、結婚5年目にして子供を授かったのは何ともうれしい誤算。本気でマラソンしようと思った矢先だったので少し残念だったのも事実だけれど、出産後にまた走れる日を楽しみにお腹の赤ちゃんと日々を過ごし、生まれた子にランという名をつけた。その後さらにいくつかのアクシデントを経て96年、やはり11月の神戸女子20kmでようやく目標達成。1時間24分45秒だか何だか、とにかく滑り込みのタイムだったが「資格さえ取ってしまえばこっちのもの」と思ったことをよく覚えている。
今回も同じようにギリギリのタイムで出場するランナーがおられるだろう。大阪のナンバーカードは申込み順であってタイム順ではないが、プログラムにも新聞記事にも全選手のタイムが掲載される。堂々としていればいいですよ。持ちタイムから見れば最後尾、一人でも食えば上出来だ!そんな気持ちで臨んだ初出場の日を思い出す。
☆過去15年のマラソン記録とトレーニングの推移
| 年度 |
年度記録 |
月間走行距離(km) |
|
| 1991 |
3:36:34 |
103.0 |
ホノルルで初マラソン |
| 1992 |
- |
17.9 |
妊娠〜出産 |
| 1993 |
- |
27.7 |
育児休業 |
| 1994 |
- |
155.1 |
復帰の矢先のアキレス腱断裂 |
| 1995 |
3:28:58 |
132.4 |
ランニング教室などの活動開始 |
| 1996 |
3:09:43 |
243.5 |
大阪国際初出場、心拍トレ本格導入 |
| 1997 |
2:58:31 |
305.8 |
初サブスリー |
| 1998 |
2:56:24 |
300.5 |
トレイルラン導入 |
| 1999 |
2:52:23 |
379.8 |
ペース走を積極的に |
| 2000 |
2:48:22 |
438.7 |
東京国際で自己ベスト |
| 2001 |
2:49:42 |
419.2 |
更に上を狙うも頭打ち |
| 2002 |
2:55:56 |
415.1 |
腰痛に苦しんだ一年 |
| 2003 |
2:52:41 |
415.4 |
夏の山ラン奏功、復活の兆し |
| 2004 |
2:47:53 |
582.8 |
100km自己ベストから新境地に |
| 2005 |
2:51:11 |
597.6 |
切磋琢磨の仲間との出会い |
何故だろう、子供が生まれて共働きで、さらには母子家庭になって・・・忙しくなるほどトレーニング量が増えている。若い頃は時間など掃いて捨てるほどあった。本当に必要な時間は自らつくるものなのだ、きっと。
マラソンの記録は大雑把に言えばトレーニング量に比例する。私も月間走行距離を徐々に増やして記録を伸ばしてきた。しかし振り返ってみると、大阪に出られたのはランニング教室を始めたことでランニング観が広がったおかげだったり、2時間台の記録が出たのは心拍計を使う合理的なトレーニングの成果だったり、一つの壁を越えた時には距離の増加だけでなく必ずその前に伏線があった。
ただしこれは後から思うこと。私もその時々に確固たる自信があって新たなことに取り組んだわけでもない。ただ急激にトレーニングのスタイルを変えたり量を増やしたりという、不自然なことや無理なことはしなかった。どちらかというと自然の成り行きでトレイル、ペース走、ウルトラと引き出しが増えて行った。
2004年度は100km参戦、しかも秋までウルトラという点がそれまでと大きく違ったが「今年はウルトラに出てよかった」と最後に言えるようすべてをプラスに考えて、明けて2005年1月のレースでは4年半ぶりの自己ベストを達成した。
2005年度のシーズンではクリニックのコーチや海外ツアー同行、伴走練習など多くの方と接する活動が増えた。そんな中で、年齢や目標タイム、そしてランニングに対する価値観が近い仲間との出会いに恵まれた。私は様々な活動で彼らの協力を得、トレーニングでは切磋琢磨の日々を過ごして今度の大阪に向かっている。
(2006年1月記)
☆一番ハイ!な一日への一年間
ここ数年、1月末の大阪国際を中心とした私の一年のスタイルが定まってきた。同じように冬のマラソンに的を絞っておられる方の参考になるかも知れないし、ご意見なども伺いたいと思う。
ここでは42歳にして自己ベストを出した2005年大阪国際への一年、実際にやってきたことをまとめてみた。
尚、2006年大会へのトレーニングもブログHi!な出来事で報告しています。
2月〜3月
テーマ:休養とメンテナンス
・からだ:筋肉や関節だけでなく内科・婦人科の問題もこの時期にチェック
・こころ:走ることは休まないが「競技」から自分を解放する
・トレーニング:特に計画的な練習なし。香港国際マラソン、泉州国際マラソン(伴走)、ランニング教室の開催など、ランニングを通じて新たな出会いを楽しんだ時期だった。
4月〜6月
テーマ:脚づくり第1期
・からだ:ゆっくりだが長く動き続ける脚と大きく収縮する心臓をつくる
ミトコンドリア、筋毛細血管、一回拍出量の増大をイメージして!
・こころ:走ることを好きになる
・トレーニング:LSD、険しくない山のマラニック。武庫川ユリカモメ70km、にちなんおろち100km(これはチョットだけ頑張った)の他に、仲間を募ってのマラニックなどを楽しんだ。
7〜9月
テーマ:脚づくり第2期
・からだ:ワンランク上の脚筋持久力と心肺機能
・こころ:鍛える気持ちを思い出す
・トレーニング:険しい山のマラニック、休憩しないLSD。険しい山や不整地で大腿部や身体バランスを強化した。40km以上のLSDもテンポよく行なうため走力の近い仲間と少数で敢行。次へのつなぎとしてコントロールランを導入。 10月
テーマ:スピード感のあるウルトラ挑戦
・からだ:100km8時間切りの脚と心臓
・こころ:野生児から競技者へ
・トレーニング:40km以上のミドルペース走(キロ5分以内)。つまり100kmのレースペースでの持続走。もう山へは行かず周回コースでペースを意識して走る。結果としてソウルウルトラマラソン8時間12分17秒で優勝。
11月
テーマ:ウルトラからフルへの移行
・からだ:脚はすでに出来ている、心肺機能に高い負荷をかけていく
・こころ:100km出場をプラスにとらえよう!
・トレーニング:40km以上を封印してあえて30km走を繰り返す。フルのレースペース、キロ4分の感覚を取り戻す。 12月
テーマ:脚づくり第3期
・からだ:40kmを「速く」走れる脚づくり
・こころ:不安を乗り越えろ!
・トレーニング:40km走。段階的にレースペースの95%まで持っていく。脚筋力と心肺機能のアンバランスが生じないよう、並行してビルドアップやインターバルも取り入れてスピードに対応できる脚をつくる。個人トレーニングの他、走友会の練習会、ロード記録会も利用して、出来るだけ実践に近い緊張感のある場で走る。
大阪女子30kmロード出場、2時間0分6秒
1月
テーマ:仕上げと調整
・からだ:レース感覚、シャープな動き
・こころ:晴れやかな心でレースを迎える
・トレーニング:1週間毎のレースペース走(40km、30km、20km、10km)で走力とモチベーションを高い状態に維持。それ以外はジョグでリラックスし、身体を軽く保つことを優先する。
大阪国際女子マラソンは私にとって一年で一番大事なレースだ。
地元大阪にこんなに素晴らしいレースがあることに感謝したい。
|